僕が関西のディベーターを応援する理由(歴史編1)

最近、マイミクに関西の現役パーラディベーターが増えてきたので、少しまとめてみる。

そもそもの僕と関西パーラとの付き合いは、かなり長いものです。
なので歴史的な話から。

僕がICU一回生のときは、まだ神戸大学ESSの一部の人しかパーラをしていなくて、
たまたまその中心人物だったAS谷さんがICUに来ていた際に、ご挨拶したのが僕と関西パーラとの始まりです。

その後JPDUの夏セミで同じ一回でパーラをする予定の二人と出会い、今後の交流を約束。
帰省する度に神戸で練習、という訳にはいかなかったけど、
少ない人数で自分がリーダー兼メンバーの二役しながら、彼らとやり合ったのも覚えています。

その後、時は流れ自分が三回になり、JPDUの国内渉外を務めていたH之原代表時代。
当時の代表の方針で、パーラの新規参入大学の増加と、国際大会への積極的な参加を目標に、いくつかのプロジェクトが走りました。
新規参入大学は当時の国内渉外補佐のたかだっちが中心に、色々な大学へアプローチ(筑波大学とか)していましたが、
同時期に関西は府大のH川君から関西でもパーラを広めたい旨の連絡を受け、
関西パーラ振興プロジェクトが始まったよーな気がします。
この頃のH川君の奮闘ぷりは旧関西JPDUのパーラメールマガジンに詳しいので、
興味がある人はGoogleのキャッシュを探るか、個別に連絡下さい。
僕は変わらず個人ベースで連絡を取り合いながら、関西パーラの人たちとディベート論についと話したりしていました。

歴史編2に続く