『数学でつまずくのはなぜか」(小島寛之:著)を読んで感じた教育論

最近ディベートに限らず、職場の後輩と仕事をする上で、
教えることについて考えることが多い。
そうした中、普段から自分が感じていたことが、
本著に書かれていたので、エントリーしてみる。

僕は、「できない」と「知らない」の違いを重くみている。
自分もそうだけど、「知らない」ことは「できない」けど、
逆に「教えて」「知らせて」あげれば、「できる」んじゃないかと。
「知って」「できない」のは仕方ない面もあるだろうけど、
「知らない」人に「できない」ことを責めるのは少し違うと思う。

本著の著者の小島さんの受験本には、何冊か僕もお世話になった。
あのころは、SEGという数学専門の予備校にお勤めで、
受験に僕は必要ではなかったけど、興味から何冊か買って、
問題を解いた記憶がある。
ちょうど大学への数学で文系の自分ができる部分を解いたり、
これまた受験に不要な数学3・Cを数学が得意な理系のやつに、
個別指導してもらっていたころだな。

話が少しそれたけど、本著ではp22に『「できない」と「知らない」の差』という形で、
小島さんのある男子学生とのエピドードが書かれている。
そこは本著を読んでもらうとして、もう1点自分が面白いと思った部分p20から引用。

例えば、彼らに多い誤りに、「3x-x=3」としてしまうものがある。言うまでもないが、正解は「3x-x=2x」だ。しかし、筆者にはこの誤りには同情の余地があると思える。「3xからxを引くと残るのは3だろう」というのは意味的に理解できる。「引く」ということを、「取り去る」=「消す」と解釈するなら、3xからxを消してしまうのもあながち愚かな行為とは断じられないだろう。つまりこの誤りをおかすこどもは、「文字式とは何であるか」、「文字式の計算といのは何をすることなのか」、といった根本的なことが理解できていないだけなのである。

続けて、帯分数の場合などでは、文字式の連結が*ではなく+として使われている場合などがあり、
それと同じ考え方をすると間違いではないと書かれています。
たしかにその通りだなぁと共感する訳です。

後半からは無限についてなど、広い数学の世界の一部を除ける感じ。
そちらも面白いのだけど、教育について考えている今の自分には、
やはり前半の「教える」ことについて、興味深かった。

残念ながら、僕はICUでも教員免許を取ることなく卒業したため、
教育論に関して他人に語れるようなプロフェッショナルではないし、
他人に教える経験を、NTTで出来たわけでもない
(在職中は、後輩が入ってこなかったからなぁ)。
そういう意味では若干コンプレックスに近い気持ちがあったりもする。

教員免許を取得した人から、今の日本で教員になるために教えられていることの概要や実情を
教えてもらえれば幸いです。